専務取締役メッセージ
働くということ、そして設計と建設コンサルタントについて
~橋梁設計の視点から~
専務取締役 近藤 治
働くとはどういうことか
働くとはどういうことか。その昔、大先輩に聞いてみたことがある。曰く、「労働に見合う対価を得て、少しだけ世の中に貢献すること」と言われ、妙に納得した。働くからには、健康で文化的な最低限度の生活を営むための収入を得なければならないと言うと、控え目に過ぎるか。それにしても、自分の労働の対価として納得できるだけの給料は必要である。その上で、自分の働きが世の中に、たとえ少しでいいから貢献できているかを考えた場合、建設コンサルタントという職業はどうだろう。
社内を見回すと、中堅社員は結婚して家を持ち、車を持ち、子供達を進学させ(ローンで大変なのか、嫁や夫の実家が裕福なのかは不明であるが)、みんなどうにかやっているようである。この様子を見ると、“労働に見合う対価”は、何とかなっていそうである。一方、“世の中への貢献”に関してはどうであろうか。道路や橋が多くの人に利用され、河川・砂防施設が災害を防いで人々の暮らしの安全・安心を守る。その計画・設計に日々携わっていると思うと、責任の重さと共に、自分の働きが少しは世の中の役に立っているのではないかと感じる。
そのように考えると、建設コンサルタントという仕事は「働くとはどういうことか」という問に対して、申し分のない答えが得られる職業であると言って良いだろう。もちろん、職業に貴賎はないという考えに異論はない。
設計とは何か
私は、橋を設計する部署に30年以上勤務してきた。この間、橋を設計するとはどういうことかを問われる場面が何度もあった。設計とは何か。私見ではあるが、橋を例にすると「橋の発揮すべき性能(耐荷性能、耐久性能)を明確にし、その性能をどのように担保し、どんな材料でどのように造って、どのように維持管理していくか。しかもそれらを経済的で美しい造形で実現する行為」であると考える。そして、実現すべきそれぞれの要素は往々にして相反する。いわゆる合成の誤謬となるので、それらをバランスさせて矛盾を解消することが必須である。
バランスさせるとは何か。例えば、設計した橋が川の流れに悪影響を与えず、耐荷性能、耐久性能が十分に確保され、維持管理が容易で見た目が美しくても、それが施工不能であれば設計としては0点である。実現すべき要素は、発揮すべき性能を満足した上で、どの要素も70~80点は確保できるようにバランスを取る必要がある。そして、それぞれの要素をどのように重み付けをしてバランスさせるか。更には最適化することが設計という行為である。誤解を恐れずに言うと、たとえ施工が難しい構造であっても、他の要素(例えば維持管理の容易さなど)を実現するためにあえて採用することも最適化の解としてあり得る。施工者から非難される場合もあるが、施工性とその他の要素の重み付けとバランスは、設計者が決定するのである。
設計とは、我々の住むまちのインフラの一生を考える行為であって、その行為は(発注者でも施工者でもなく)設計者である我々建設コンサルタントが担っていると言える。そのように考えると、建設コンサルタントという仕事は、インフラの一生を考える立場にある数少ない技術者なのである。
建設コンサルタントという職業
阿賀野川に架かる橋の設計に従事したことがある。橋長が900mを超える大規模な橋梁である。基礎は杭を打つのか、ケーソンを沈めるのか、鋼管矢板を打ち込むのか。橋桁は鋼桁にするのか、コンクリート桁にするのか。桁の架設は送り出すのか、桟橋からクレーンで架けるのか、それとも台船に乗せて架けるのか等々…。検討すべきことは山積みであった。検討結果に基づいて採用する形式や構造、施工方法が決定されると、それを造るのはどのような業種・業界の人達か。また、材料を供給するのはどのような会社かなどが決まる。橋の規模が大きければ、そこへ多額の金が流れることになる。しかも、使うのは税金である。もちろん、設計業務の発注者は橋のオーナーでもあるので、当然、検討結果をもって発注者と協議しながら橋の形式や細部構造を決定するのであるが、我々の検討結果が多額の税金の投入先を左右することに思い至ると、責任の重さに身のすくむ思いがした。
建設コンサルタントの検討案(いわゆるコンサル案)として発注者に何を提示するのか。税金を使って橋を架ける以上、我々の仕事は公平無私でなくてはならない。“無私”は至極当然であるが、“公平”は何をもって公平とするか難しい。少なくとも仕事には“公正”に取り組み、公益の確保にかなう仕事をしたいと思っている。
橋が完成し、無事に開通したときの気持ちはどうだろう。設計が終わっても発注者からの問合せがあるし、施工が始まれば現場からも問合せも増える。施工中に発生したトラブルにも対応しなければならない。しかし、ひとたび橋が完成すると、これら全てのプレッシャーから解放される。喜び、達成感、安堵感…。どんな気持ちと言うべきか。「橋が架かって便利になった」と言われることもある。このように、建設コンサルタントという職業は、プレッシャーと毀誉褒貶から逃れられない職業ではあるが、仕事を成し遂げたときの喜びと達成感に支えられて、ここまでやって来たように思う。
我が社は、大規模なインフラの設計から老朽化が進行するインフラの点検・補修設計まで、様々な業務を任せていただいている。若手スタッフは、これらの業務に存分に取り組んで、建設コンサルタントという職業を堪能して欲しいと思っている。業務に真摯に取り組むことが、技術者としての成長の糧になるはずである。
地域に根ざした建設コンサルタントとして
過去に、徳島県の吉野川第十堰問題がマスコミで取り沙汰されたことがある。当時の建設省は、江戸時代に建設された吉野川の固定堰を洪水調節機能に優れる可動堰に改築しようとした。これに住民が反発し、最終的にその賛否を問う住民投票が行われたと記憶している。社内の水工部の同僚とこの第十堰問題について話し合ったことがある。その時、その同僚は以下のように語った。
「河川構造物は、長い年月使われ続けるものだから、その評価には地域性が生じる。吉野川第十堰は、250年以上この地域で役立ってきた。これを機能優先で改築しようとしたので、徳島の人達は反発したのだ。これがもし新潟だったら、誰も反対しない。新潟の人達は、大河津分水をはじめ、可動堰によって洪水から守られてきたから。」
なるほど。川は深いと感じた。その一方で、地域性があるのは橋も同じではないかと思った。
維持管理の時代が到来したと言われて久しい。「高度経済成長期に大量に建設された橋梁が老朽化し…」で始まる文章があふれ、実際、壊れて不具合が生じている橋はたくさんある。我々は、新潟県内の橋であれば、橋梁名だけでどこのどんな橋か概ね分かる。点検業務や補修設計で担当した橋は、詳細構造や健全度、損傷と補修履歴等も把握している。損傷は、橋が置かれた環境の影響を受けるので、北陸地方特有の損傷が発生していることも理解している。我々は何より地の利に恵まれていて、発注者から要請があれば、すぐに現場へ駆けつけることができる。地域特有の情報は、インフラの維持管理に必要なだけでなく、新たな施設の計画・設計にも必要不可欠なものである。
地域に根ざした建設コンサルタントとして、地域性を理解して、地域に役立つ社会資本整備に貢献できるのは、技術者人生として悪くない。